やはり幼少期のトラウマ、心にささったトゲを抜かないと立ち直るのは難しいことだとようやくわかりました。
私の娘は中学生の頃あたりから父親と不仲になり、お互いに距離をとるようになりました。
ささいなことですぐにキレる父親のことを、娘はいつしか「おじさん」と呼ぶようになりました。
学校は苦手、出したものはしまわない、スマホばかりで半引きこもり、自分が飼いたいと言った犬の面倒をまったくみない、お互いの存在がストレスになっている娘のことを許容できずに、関わることをほぼ放棄した父親。
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| 家族の間に冷たい雪が降っているような |
娘と夫の二人からお互いの悪口を言われて、板挟みの私も冷たい気持ちを抱えて辛い日々を過ごしていました。
グレーゾーンの娘
娘は社交不安が強く、学校など対人コミュニケーションが苦手ながらも本人もがんばって高校を卒業し、現在大学に通っています。
大学生になったら新しい出会いを通じて、人生を楽しめるようになると信じて見守りを続けていました。
本人なりにがんばってアルバイトをして、ひいひい言いながら大学の課題もきっちりやって、単位も落とさずに4年次を迎えました。。
楽しいはずの大学生活にもかかわらず、だましだまし自分にムチを打って嫌なタスクをこなしているといった感じでした。
大学の駅まで行ったのに引き返してきたり、しんどい時には娘から「帰りたい」と許しを乞うような電話がかかってきました。
娘がうつ状態から浮上するにはどうしたらいいか?ネット検索や本を読んだり、転院したり、鍼灸治療を2年以上続けたり、母子で海外旅行に出掛けたり、私なりにできることはやってきたつもりです。
良くなるどころか悪くなっている。
うつから脱出して社会に出るには
大学も残り1年。社会に出る期限が近づきました。
就職活動を少ししかやっていないことはわかっていましたが、親として口出しはせずに本人に任せていました。
「自分の人生のハンドルは自分で」
娘が母親に「ほめて」と言ってくるのですが、私は本「嫌われる勇気」で読んだことを参考にして、「ほめない 干渉しない」と伝えました。
2年前も去年も5月頃に娘が自傷行為に及んだ時に、私は「少し離れた所から見守るから自分の足で立って」というメッセージを伝えました。
母親なりに考えて3年間寄り添ってきましたが、娘が浮上できないまま、むしろ悪くなっているのでアプローチを変えることにしました。
親から子へメッセージ
親にしてもらっていることが当たり前で、どんどん横柄な態度になっている娘。自立してもらうためにはっきり言うことにしました。
内容としては「残り1年の大学生活で自立の準備をすること」
①乱れた生活リズムを整えて、新年度も単位を落とさずに留年せずに卒業すること
②就職先を見つけて自立すること
卒業および自立のための取り組みに背を向けて、親に依存して引き込もるような気構えなら来年の春に家を出て行ってもらう。自分なりに努力する姿勢をみせたならこのまま家に居てもいい。
私と夫で話し合った結果、本人に自立の意識を持ってもらうために、強いメッセージを伝えることにしました。
話の途中で拒絶反応や言い合いになっては、趣旨が伝わらないと思い、動画を撮って娘に見せることにしました。
ところが動画の途中で娘が怒り出したので、とりあえず最後まで聞くように隣の私がなだめましたが言うことを聞きません。
関係修復なるか?
娘の騒ぎ声を聞いた夫が2階から降りてきました。
「このままじゃダメだから言ってるんだ」と大きな声を出して娘を言い聞かせようとする父親。
「単位を落としたことはないし、少しとは言え就活もやってる。おどしてどうするの」と反論する娘。
言い合いになり、娘が過呼吸を起こしました。一旦、二人は別の部屋に行き、落ち着いてから再びお互い言いたいことを話し始めました。
夜遅くまで起きていて昼近くまで寝ている。スマホばかりで食生活も乱れている。心療内科に3年以上通っても良くなるどころか最近ますます悪くなっている。薬が効くどころか、薬をのみすぎたり悪影響だからやめたほうがいいんじゃないか?
大学はあと残り1年だから立ち直るチャンスを逃さないように。親もいい歳になってきたから、このままズルズル甘えている訳にはいかない。
何も知らないくせに知ろうともしないくせに、決めつけないで。
薬がなければ、今こうして生きていない。メンタルが落ちると2週間くらい何もできない。自傷行為も就活や大学のスケジュールをふまえて、失敗しないようにすごく考えた上でやってる。
私がいなくなっても悲しくないくせに偉そうなこと言ってこないで。
そんな訳ないだろ。子を失って悲しくない親なんていない。こう見えて涙もろい。つい先日、親父が亡くなった時には涙が止まらなかった。母親の時もそう。
私の両親は亡くなってしまった。お父さんもお母さんももうすぐ60歳、あなたといつまでも一緒にいられるわけじゃない。自立できるようにしておかないと、いつか困ることになる。
私がこうなってしまったのは、あなたのせい。
子供の頃に、ことあるごとに「何やってんだ 何でできないんだ こんなこともわからないのか」と父親に悪態をつかれて、私は自己肯定感を持てなくなってしまった。
「幼稚園の時に父子でお風呂に入ると、いつも九九を言わされて間違えるとすごい剣幕で怒られた」
「そのことは前にあやまったし、たいしたことじゃない。オレなんか毎週親父にフルボッコにされてた」
そんなことを比較しても何の意味もない。
父親はアスペルガー症候群だから病気だから仕方ないと言われても、ずっとすぐキレる父親の存在で安心できなかった。
母に対して暴言を吐くのも、夫婦ゲンカするのも嫌だった。
家にいても安心できない。21年間ずっとそう。だからうつは一生治らないと思う。
心のトゲを抜く
娘が理路整然と何が嫌で何が苦しいのか、丁寧に説明をしたことで、ようやく夫も自分の特性が家族に圧をかけていると、ある程度理解したようでした。
ようやく夫は今までのことに気が付いて、娘に「悪かった」とあやまりました。
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| 心の季節よ夏になれ |
私に「父親のことはもうどうでもいい」ともらしていた娘が自分の中にしまっていた気持ちを父親に吐き出し始めました。
「あのね。聞いて。母は知ってるけど私に何の薬が処方されているのか、あなたは知らないでしょ」
自分の不安感をおさえたい時、眠れない時にそれぞれの薬をのんでいること、そして就職活動の進捗状況について父親に話しました。
ここ2年ほど、父子は距離をとり、ろくに話もしていませんでした。
イレギュラーな行動を取る娘のことが許せずに、関心を持たないことで夫はストレスを避けているようでした。
1年ほど前の娘の自傷行為、自宅の居間で娘が転倒して頭を打った時も父親がノーリアクションだったことは、娘にとっても私にとってもすごく悲しい出来事でした。
ここ数年、父親に放置されていた娘は「どうでもいい」と言うことで自分を保っているように見えました。
父親に自分の気持ちを吐露しているうちに、娘は甘えるような口調に変わっていきました。
娘の気が済むまで、夫は相づちをうちながら静かに聞いていました。
最後のほうに娘はお願いがあると言って「子供部屋に入らないこと 階段は静かに上がること そうしないと恐くて心臓がドキドキすること 圧がなく安心して過ごしたい」ことを説明しました。
トゲが抜けた後
「苦しかったけど、心のトゲが抜けたから今日話し合えて良かった」と私は言いました。
すると娘は「もう遅いし、何も変わらない」と反論しました。
「遅くても今日から変われるし、安心していい。トゲが抜けたらやがて穴は埋まるから」
「今日はしおらしくしているだけで、また(父親)いつ狂暴になるかわからない」
「ちゃんと理解したから悪くなることはない。再スタートしよう」
今後のゆくえ
長年抱えてきた不安からすぐに解放される訳ではないみたいだけれど、幼少期のトラウマと対峙できたことは大きいと思います。
家族それぞれの気持ちを少なからず確認することができたので、少しずつでも家庭の歪みを修正していきたいです。
中、高、大学と本人は辛さを抱えながらここまできました。
高校ではオール5をとったり、指定校推薦で大学に進学したり、日数は少なくても重労働の飲食店のアルバイトを続けたり、とてもがんばっています。
うつの娘の学生生活も残り1年、アプローチの方法を模索しながら親として支援を続けます。


